(7)


このSの転落に関しては、目撃者は一人もおらず、遺書なども残さ
れていなかったが、校舎の屋上の周りには、金網の高いフェンスが
取り付けられていて、それを登って越えない限りは落ちる事は考え
られないので、事故ではなく自殺である、と推察された。

学校全体に衝撃が走った。連日、警察やマスコミが押し寄せ、皆驚
きと動揺を胸に、この騒然とした異様な空気の中での日々の生活を
強いられていたが、結局、いじめなどの具体的な自殺の原因となる
ものは何も解明されず、しばらくするとこの騒ぎは、うやむやのま
ま徐々に鎮火していった。
それでも僕のクラスだけは、何か不可解な不安感や、漠然とした後
ろめたさの様なものが、いつまでもこびり付いて離れず、口には出
さなくても皆の心に、暗い影を落とし続けていた。

ところが事件は、これだけでは終わらなかった。

その後の警察やマスコミの調べによって、新たな事実が判明した。
Sは自殺をする直前に、自分名義の銀行口座の預金を全額引き出し、
被災地の支援活動をしている、ある慈善団体に寄付していたのだ。
まるで、「自分の身を滅ぼしても他者に尽くすのが、真の自己犠牲
だ。」という、自らの持論を実践するかの様に。
(資産家の息子だけにその額は、かなりのものであったらしい。)

彼は何故この様な行動をとったのだろうか? 良心の呵責からか?
それとも彼を疎外していた、彼の言う「偽善者」たちへの当てつけ
か? あるいは何かもっと別の、僕らには知り得ない理由があった
のだろうか?
いずれにせよ、後に残された僕らには、それを知る術は何もなかっ
た。

彼の死後、僕の心の中では、彼の記憶が薄れるどころか、反対にま
すます大きく膨れ上がっていった。
僕には彼と交わした、最初で最後のあの会話が、何か特別に意味の
あるものだった様に思われ、僕の頭から彼の姿が、声が、あの冷た
い目が、一瞬たりとも離れなくなってしまった。

事件から数週間経ったある日、一体どうしてそんな事をする気にな
ったのか判らないのだが、僕は校舎の屋上へ上がり、金網を乗り越
えて建物の端の、わずかにせり出したへりの上に、恐らくSが最後
に立っていたであろうその場所に立った。

(あいつはここで、何を考えていたんだろう?)
遠くに見える街並みを眺めながら、僕は想像を巡らせた。

そのまま長い時間が過ぎた。一陣の風が頬をかすめ、僕の髪をなび
かせた。
一歩も先のない場所に立って、僕はこの後どうしたらいいのか、判
断を失い、身動きが取れなくなってしまった。時間が止まってしま
った様に、このまま永久にここに立ち続けるのかと、そんな事が頭
に浮かんだ。

すると、何故か僕はすぐ後ろに、死んだ筈のSが立っている様な気
がした。
そして彼が今すぐにでも、動けぬ僕の背中を突き押してくる、そう
思って、じっとそれを待ち構えていた。






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