「青」



朱く染まった、雨上がりの夕暮れの街。
川に架かる橋の上に若い男が一人、じっと川面を睨みつけている。

同じ時、同じ橋の下。
川のほとりに若い女が一人、やはり川面をぼんやりと見つめている。

橋の上の男は孤独だった。
幾つもの夢が破れ、ままならぬ現実に腹を立て、心は黒く膨れ上が
り、今にも破裂しそうだった。

橋の下の女も孤独だった。
願い事がひとつ、またひとつと奪い去られ、容赦なく攻め立てる現
実に疲れ果て、心は白くやせ細って、今にも消え入りそうだった。

男は、抱え込んだその怒りを吐き出したかったが、どこにどうして
それをすればいいか解らず、橋の手すりにもたれ掛かって、ふつふ
つとしながら、ただ川面を睨み続けるしかなかった。

女はいなくなりたかった。身も心もこの世から消えてなくなれば、
どんなに楽だろう。そう思うと、自分でも気づかぬうちに、川の中
へと足を踏み入れていた。水の冷たさが、何故かとても懐かしく、
愛おしく感じられ、心は驚くほど穏やかだった。
(もうすぐ消えてなくなれる‥‥)
女はそのまま、川に身を沈めようとした。

その時である。

橋の上を一台の車が走り過ぎ、その拍子に水溜りの水を跳ね上げて、
すぐ横に立っていた男の背中を濡らした。
その瞬間、彼の中で触れ上がっていた黒い怒りが、捌け口を見つけ
て一気に弾けた。
男は、胸いっぱいの憎しみを込めて叫んだ。

「馬鹿野郎!」

思いがけぬ天からの声に、女は膝まで水に浸かったところで、はっ
と我に返った。がくがくと体が震え出し、急に怖くなって、そのま
まその場に座り込むと、こみ上げてくる来るものを必死に堪えてい
たが、やがて抑えきれなくなって、声を押し殺して静かに泣き始め
た。
これほど手厳しく、これほど優しく力強い声を、女は未だかつて聞
いたことがなかった。不思議なことに、彼女はこの黒い怒りの叫び
の中に、一抹の優しさを見出したのだった。
こみ上げる思いは彼女のすすり泣きを、次第に激しいむせび泣きへ
と高めていった。まるで何かから解き放たれていく様に。

雨上がりの夕暮れの街。
朱から青へ、景色は少しずつその色合いを変えつつあった。






              戻る