「ある自殺」



俺は今、駅のホームの端に立って、電車が入って来るのを待ってい
る。その電車が、俺がこの世で見る最後のものになるだろう。

俺は人生に絶望している。家族にも友人にも、恋人にも裏切られ、
捨てられた。仕事も金も失い、病にも侵された。夢も希望も微塵と
消え、残っているものは何もない。悲しみさえも枯れ果てた。
後はただ、この人生を自らの手で終わらせるだけだ。
別にどうという事はない。この世界から俺という存在が消え、俺の
中からこの世界がなくなる、それだけの事だ‥‥

そんな事を考えているうちに、電車がやって来た。
俺はぎりぎりまで、電車が近づくのを待った。

そして、ホームを蹴って飛び込んだ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

おかしい‥‥確かに俺は今、電車に飛び込んだ筈だ。それなのに何
故、まだこのホームの端に立っているのだろう?
死んだと思ったのは、幻覚だったのか?

だが、俺のこの絶望感は幻ではない。俺は人生を終わらせるために、
この場所に来たのだ。
今度こそ、本当に死のう。

しばらく待っていると、先程と同じように、電車が入って来た。
俺は気を取り直して、先程と同じように、ぎりぎりまで待った。

そして、再び飛び込んだ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

これは一体、どういうことなんだ? 俺はまた元の、ホームの端に
立っているではないか?
これは幻覚なんかじゃない。何度飛び込んでも、必ずこの場所に戻
って来てしまうのか?
俺は、死にたくても死ねないのか?

ああ‥‥俺はあまりにも大きな絶望のせいで、気が狂ってしまった
のだろうか? このまま絶望を抱えながら、永遠に自殺を試み続け
るのか?

ああ‥‥また電車がやって来た。
俺は一体、どうすればいいんだ?
どうすれば‥‥

だがやはり‥‥死ぬしかない! そのために、ここに立っているの
だから。

俺は激しく混乱しながら、また電車に飛び込んだ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

わかったぞ! 何故俺がこう何度も、同じホームの端に立たされる
のか。何故、何度も電車に飛び込まねばならないのか。

つまり、こういうことだろう。
俺は、誰かの想像によって作られた、架空の人物なんだ。そしてそ
の誰かは、俺と同じような絶望を抱えているんだ。
だが死ぬことに踏み切れずにいて、その代りに、自分の分身である
俺に、想像の中で何度も死なせて、自分の死から逃げているんだ。

そいつは、俺にとって創造主、つまり神かもしれないが、いくら神
でもこんなことを許す訳にはいかない。

ふざけるな! もう自殺はやめだ!
自分が死ねないからといって、俺に代りをさせるのは、いい加減に
やめろ!
身勝手もいいところだ!
俺を弄ぶな!
自分の絶望の落とし前は、自分でつけろ!

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

ここまで書いたところで、男はペンを置いた。
自分の想像物にまで見放されてしまった‥‥そう思って、深い溜め
息をついた。

それからしばらく考え込んだ後、ゆっくりと机の引出しを開け、中
から取り出した拳銃で、自分の頭を撃ち抜いた。






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