「道」



冬枯れの街、そこにある病院の一室に、一人の少年が寝ている。
年の頃は十歳くらいだろうか。
病室には大きな窓がひとつ、その向こうには、病院から街なかへと
伸びる、真っ直ぐな一本道が見える。
(僕は、あの道を歩いて来たんだ。)と少年は思った。
(そしてその道も、もうすぐ終わる‥‥)

重い難病に侵され、少年はもう何年もここで治療を受けていたが、
容態は悪くなる一方で、顔は青白く、体はげっそりとやせ細ってい
った。
そして今日、医師から余命一か月の宣告を受けた。
もちろんそのことは、本人には知らされていないのだが、家族の沈
んだ様子を見れば、少年には嫌でも察しが付く事だった。

ベッドの傍らには、彼の姉と母親が座っている。
「寒くない?」母親が少年に、力なく話しかけた。
「うん。」
母親も姉も、毎日の献身的な看病で、少年に劣らずやつれていた。
「喉は渇かない?」
「うん、大丈夫。」

つらそうな家族の姿を見ると、少年の心は痛んだ。その為もあって
か、死を覚悟しても、不思議と彼の心は穏やかであった。
(僕がいなくなれば、みんな苦しまなくてすむ様になる。そして何
より、治療の辛さから解放される!)

毎日繰り返される、治療に伴う激しい痛み苦しみ、それはまだ幼い
彼にとって、地獄のような日々だった。その苦痛が死への恐怖さえ
も、遥かに凌いでいたのだ。
この地獄から、やっと抜け出せる、その事が彼の心に、ささやかな
平穏をもたらしていた。


突然、病室のドアが乱暴に開いて、一人の男が飛び込んで来た。
それは少年の父親だった。父親は目を大きく見開き、嬉しそうに
言った。
「おいみんな、この子は助かるかもしれないぞ!」
その言葉に母親と姉は、驚いて飛び上がった。
「一体どういう事?」
「アメリカのある大きな病院に、この子の病気を専門にしている医
療チームがあるんだ。以前、その事をここの主治医の先生から教え
られて、この子の治療をお願い出来ないか、頼んでもらっていたん
だが、たった今そこから返答が来たんだ。治療してくれるそうだよ
!」

母親と姉の表情は、驚きから喜びへと変わっていった。二人とも、
言葉にならない声を上げていた。
父親は、なおも話し続けた。
「もちろん、これで助かると決まった訳じゃない。今までの様に、
いや、今まで以上に大変かもしれない。でも望みはある。希望はあ
るんだ!それに賭けてみようじゃないか。」
「そうね‥‥ああ、よかった!本当によかった!」
三人は涙を流して喜んだ。今またこの家族の胸に、新しい希望の灯
がともったのだ。

ただ一人を除いて。

喜ぶ家族の中にあって、少年の心は暗く沈み込んでいた。
やっと抜け出せる、楽になれると思ったのに、この先にまた、あの
途方もない苦しみが待ち構えている、そう考えると、胸が張り裂け
そうだった。
「僕‥‥もう嫌だな。」少年は、消え入りそうな細い声で呟いた。
「もう、治療はしたくない‥‥」

一瞬、病室が静まり返った。
そしてその直後、静寂を破って、母親の甲高い声が響いた。その声
は、困惑と怒りに震えていた。
「何を言っているの! そんな意気地のないことを! しっかりし
なさい! ママたちだって、あなたと一緒に苦しんで、一緒に戦っ
てきたのよ! ママは絶対に諦めませんからね! どんなに時間が
かかっても、どんなにお金がかかっても、絶対に諦めないわ!だか
らあなたも諦めないで! お願いだから治療を受けて!」
その叫びは怒りを通り越して、最後は泣き声になっていた。

あまりの剣幕に、少年が声を出せずにいると、今度は落ち着いた優
しい口調で、母親は話しかけた。
「あなたなら出来るわ。せっかくここまで、頑張って来たんじゃな
い? もう少しの辛抱よ。ね?」

少年はただ、頷くしかなかった。もはや自分には、選択の余地は残
されていない‥‥。

母親と家族の顔に、安堵の色が甦った。
「私たちも、一緒に頑張るわ。だから望みを捨てちゃ駄目よ。」
みんな優しくいたわる様な笑みを浮かべてベッドを囲み、少年の顔
を覗き込んだ。少年は観念した様に、笑顔でそれに応えた。
だが、彼の視線は家族を通り越して、その背後の窓の外、真っ直ぐ
に伸びている道に向けられていた。

(そうだ、勝手な事を言っちゃいけないんだ。僕のわがままの為に、
家族の希望をぶち壊すなんて、そんな事は絶対に許されない。)

少年の目には窓の外の道が、いつにも増して長く、暗く、険しい道
の様に映っていた。






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