「寝たきり絵描き」



ある貧しい無名の絵描きの話です。

ある夜、絵描きが布団の中でうとうとしていると、突然、未だかつ
て思いついた事もない、素晴らしい絵のイメージが、頭に浮かんで
来ました。

(これは傑作になるぞ!)

絵描きは興奮して、急いで飛び起き、すぐに制作に取り掛かろうと
しました。
ところがいざ描こうとすると、ついさっきまで頭に浮かんでいた絵
のイメージが、跡形もなくすっかり消えてしまい、どうしても思い
出す事が出来ません。

(おかしいな‥‥)

絵描きはがっかりして、また布団に潜り込みました。

しばらく横になっていると、彼の頭に再び先程のイメージが現れま
した。けれども起き上がるとまた、それは消えてしまいます。
それから何度も寝たり起きたりを繰り返しましたが、どうしても寝
ている時にある絵のイメージを、どういう訳か起きた途端に忘れて
しまうのでした。

絵描きはだんだん腹が立ってきましたが、どうする事も出来ず、仕
方がないので枕元に紙と筆を置き、横になったまま布団の中から手
を伸ばして、絵を描く事にしました。
すると絵はすらすらと描け、新しいイメージも、次から次へと湧き
出て来ました。
それ以来、彼はいつも寝ながら絵を描く様になったのです。

そんな調子なので、彼の絵は皆、寝ながら描ける程の小さなものば
かりで、売ってもさほどの金にはなりませんでしたが、一日ほとん
ど寝たきりで、他に何をする訳でもないので、食べていくのに困り
はしませんでした。

こうして絵描きは、その生活の大半を布団の中で過ごす様になり、
彼を知る人たちは彼の事を「寝たきり絵描き」と呼んで、憐れんだ
り、いぶかしがったり、陰口を叩いて笑ったりしました。

「かわいそうなやつだ。」
「いや、ただの怠け者さ。」
「人間、ああなったらもう、おしまいだね。」

でも、そんな事を言う人たちには判らないのです。絵描きは何故絵
筆を捨てて元の生活に戻ろうとはしなかったのか。
その気になれば、いつでもそう出来たのに。

寝たきり絵描きは今も寝たまま、絵を描き続けています。

時々、彼は不思議な気持ちになります。
布団の中で、何も考えずに目を閉じていると、目の前の暗闇が、ま
るで宇宙の様に果てしない深みと広がりを見せ始め、気がつくとそ
の中に体ごと、吸い込まれていきそうになるのです。
それはとても恐ろしいみたいな、それでいてわくわくするみたいな、
何とも言葉で言い表せない、彼にしか判らない感覚でした。
そんな時、彼はいつもこう思います。

(ああ、ここが俺の、本当の居場所なのだ。)

すると彼の手はひとりでに、また絵筆を握りしめるのです。






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