「双頭犬」



荒野に一頭の大きな犬がいた。胴体はひとつだが、首から
上が枝分かれしていて、頭がふたつあった。だから正確に
は一頭ではなく二頭と言った方がいいのかもしれない。
ふたつの頭でひとつの体に相乗りしているわけだから、な
にかと不都合が生じた。ふたつの頭は、それぞれ好みも性
格も違っていて、それで事あるごとに意見の対立が起きる
のだった。
「鹿を襲って食べよう。」
と片方の頭が言うと、
「鹿なんて不味くて喰えるか。それより子牛の方がいい。」
ともう片方の頭は言い、
「あそこの草地で寝たら柔らかくて気持ちがよさそうだ。」
と片方が言うと、
「いやいや、向こうの木陰の方が涼しいだろう。」
ともう片方は言い返した。片方が雌犬に欲情して交わろう
とすると、もう片方がタイプじゃないと言って拒んだ。片
方は暑がり、もう片方は寒がりだった。
こんな調子だから、ふたつの頭はとても仲が悪かった。お
互いに嫌い合っていても、同じ体に隣り合って付いている
のだから、一時たりとも離れることは出来ない。それが仲
の悪さに拍車を掛けて、嫌いを通り越して憎しみさえ抱く
ようになっていた。

そんなある夏の暑い日のこと。
暑さのせいもあって、ふたつの頭は気が立っていた。些細
なことがきっかけで喧嘩になり、それがだんだん膨らんで、
遂には今まで溜まっていたものが爆発してしまった。
ふたつの頭は気が狂った様に攻撃し合い、相手の喉元に噛
みつこうとした。制御を失った体は、あっちへ飛び跳ねこ
っちへのたうち暴れ回った。
この奇妙な格闘がしばらく続いた後、お互いに疲れて息が
上がってきた頃、遂に一方の頭がもう一方の喉元に喰いつ
いた。喰いつかれた頭は苦痛の叫びを上げ、激しく抵抗し
て引き離そうとしたが、食いついた方はどんなに暴れ回ら
れても決して離れようとせず、執拗に噛みつき続けた。
やがて犬の体は動かなくなり、喰いつかれた頭は抵抗を止
め静かになった。喰いついた頭は、恐る恐る相手の喉元か
ら口を離したが、相手は微動だにしなかった。とうとう一
方の頭は息絶えたのだった。

犬は生まれて初めて自由を手に入れた。もう自分の行動を
妨げるものはいない。好きなものを獲って食べ、好きな所
へ行き、好きな時に寝ることが出来た。彼は幸せだった。

そんな自由で幸福な時がしばらく続いた頃、犬の気持ちに
わずかな変化が現れてきた。やりたいことを好きなだけや
ってしまうと、犬はもうやりたいことが無くなってきた。
すると犬は退屈になった。そしてこの時、自分がひとりで
あることに初めて気がついた。
おまけに彼には、ふたりからひとりになって困ったことも
起き出した。例えば空腹になり獲物を獲るとき、ふたつの
頭で手分けして探せば簡単に見つかっていた獲物も、ひと
りではなかなか見つからなかった。ふたつの頭で考え協力
していたら簡単に捕らえられた獲物が、今はなかなか捕ま
えられずに取り逃がしてしまうことが多くなった。喉が渇
いて水飲み場を探すのも、夜寝場所を探すのも、ふたりの
時より苦労した。
そして何より、彼は寂しかった。彼は自由だが孤独だった。
話し相手が欲しかった。時々、隣の頭に話しかけてみたが、
息絶えた頭は首を横に倒したまま、何も答えなかった。

秋の風が吹き始めた頃、隣の頭は朽ちて地面にもげ落ちた。
するとその傷口が痛み出してきて、痛みは徐々に強くなっ
ていった。
犬はすっかり気が沈み込んで、あてもなく荒野をさ迷い歩
いた。傷のせいで徐々に体は弱っていった。彼はもう幸福
ではなかった。

やがて冷たい風が吹く冬になった頃、犬は酷く衰弱して、
茂みの中に倒れたまま動けなくなってしまった。そしてそ
のまま何日も、飲まず喰わず一睡もせずに過ごした。
死がだんだん近づいて来ている、そう思うと犬は、気が狂
いそうなぐらい寂しかった。
木枯らしに吹きさらされながら、彼は相棒の横顔を思い出
していた。
「今、あいつがいてくれたらなあ。」
とうとう犬は堪え切れなくなって、そう声に出してつぶや
いた。






            戻る