「ついで」



オフィスビルのエレベーターに、一人の男が乗っている。そのビル
で働くビジネスマンである。多忙な彼は、フロアからフロアへと飛
び回り、朝から晩まで一日中働き詰めていた。

何でも「ついで」にする男だった。時間を無駄にするのが嫌で、い
つも何かをしていないと気が済まないたちだった。
食事を取るついでにメールやSNSをチェックし、電車で移動する
ついでに得意先や下請け先に連絡を入れ、トイレで用を足すついで
にニュースサイトに目を通し、風呂に入るついでに歯を磨く、そん
な生活を送っているうちに、「ついで」はどんどん増えていった。

仕事においても「ついで」が増え続け、上司や同僚から頼まれたこ
とは、何でも安請け合いした。その結果、今では何が「ついで」で
何が「ついで」でないか、判らなくなるほどぎゅうぎゅう詰めにな
っていた。

今、エレベーターに乗り込んで、一時仕事から解放され、何もしな
い時間ができた彼は、この時初めて、自分がひどく疲れていること
に気づいた。そして、何故かこの時初めて、自分の人生について振
り返って考えてみた。
「俺の人生は、いったい何なんだろう?
 何のために俺は生きているんだろう?
 生きることに何の意味があるんだろう?」

そんな自問を繰り返すうちに、エレベーターの扉が開いた。降りよ
うとして彼は、はっとなって立ち止まった。そこは、ビルの屋上だ
った。どうやら乗る時に、ボタンを押し間違えたらしい。
初めて見る無人の屋上は、だだっ広いコンクリートの地面に、四方
を金網のフェンスで囲っただけの、ひどく殺風景な所で、空も灰色
に曇って、今にも雨が降り出しそうだった。

とんだ時間の無駄をしてしまった。戻らなければ、仕事が山積みの
階下に‥‥そう思ってボタンを押そうとした瞬間、不意に彼の頭に
ある考えが浮かんで手を止めた。
「そうだ、ここまで来たついでに‥‥」

彼は、ふらりとエレベーターを降りた。
そしてゆっくりと屋上を横切り、金網のフェンスをよじ登ると、そ
のまま向こう側へ飛び降りた。






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