「予言」



(木こりが森の中で一本の木を指して「この木は倒れるだろう。」
と言った。
果たしてその予言は当たった。木こりがその木を切り倒したのだ。)

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電車の座席に座り、中吊り広告を見ながら、僕はそんな事を考えて
いた。広告には、最近世間で話題になっている、占い師の顔写真と
その著書が写っていた。
その占い師は、驚異的な的中率で、これから起きる様々な事件や出
来事を言い当て、それが評判になって、テレビ等でもよくその顔を
目にする様になった人物である。

(どうしてあんなによく当たるんだろう?)

そこでふと僕は、冒頭の木こりの話を思いついたのだ。
もしかしたら占い師や予言者とは、この木こりの様なものではない
か?

日本には古くから、言霊(ことだま)という概念がある。
人の口から発せられた言葉に霊が宿り、その言葉通りの事が起きる、
というものであるが、予言はまさに、この言霊の事ではないか?

未来とは、まだ起きていない時間であり、現在においてはまだ何も
ない、真っ白な状態である。
そこへ予言という力が加えられる。すると未来は、その予言の影響
を受け、予言に引き寄せられていく。
未来が予言を追い越す事は出来ない。だから未来はいつでも、予言
の後ろを追いかけるしかない。
よく当たる予言者とは、こうした未来を自分の予言に引き寄せる力
の強い者なのではないか?
もしもその予言がなければ、未来は全く違った道へ流れていくので
はないか?

そんな事を考えていると、向かいの座席に座って絵本を読んでいた
小さな女の子が、不意に隣にいる母親の方を向いてこう話しかけた。

「ねえお母さん、ニワトリが先なの? 卵が先なの? どっち?」

どうやら彼女が読んでいたその絵本は、ニワトリが先か、卵が先か
という、あの有名なジレンマについて描かれたものだったのだろう。
この少女の問いかけが、僕の頭に新たな波紋を投げかけた。

(ニワトリが先か? 卵が先か? 未来が先か? 予言が先か?)

僕の頭は、ぐるぐると渦を巻き始めた。
それはだんだん大きく、激しくなって、僕はその渦にのみ込まれ、
らせんを描きながら、遥か地の底へと落ちていく様な気がした。
それを上から、もう一人の僕が見ていて、落ちていく僕は、みるみ
る小さくなっていき、やがて暗闇の中へ消えていった‥‥‥‥

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

電車の扉が開く音で、僕ははっと我に返った。
目の前に座っていた親子の姿はもうそこにはなく、扉の方を見ると
その後ろ姿が、ちょうど電車を降りていくところだった。

僕は落ち着きを取り戻し、ふうっとひとつ大きく息を吐いた。
そしてもう一度、中吊り広告に視線を送りながら、自分の中で最後
にこう結んで、このとりとめのない考えに、一応のけりをつける事
にした。

(願わくばこれから先、僕の人生について、誰からも何の予言もさ
れぬ事を。
僕の未来は、僕のものだ。)






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