(3)


いつの頃からか、私は人生に絶望を感じ始めた。
絶望は徐々に膨らみ、やがて激しい苦痛となって、私を襲
い出した。
何週間も、何か月も震えが止まらず、著しく体調を崩し、
夜もろくに眠れなかった。
この激しい苦痛から逃れる為には、死ぬしかないと考えた
が、どうしてもその考えを、受け入れる事が出来なかった。

それは、明確な根拠がなかったからだ。

私が死を受け入れるには、何か明確な根拠が必要だった。
何故なら私は、喜んで死を受け入れる訳ではなく、絶望の
苦痛から逃れる為の、最後の手段として、止む無くそうす
るのだから。

そこには(絶望の苦痛)とは別に、(死の恐怖)という、
新たな障害が発生する。
その障害を乗り越える為に、是が非でも何か、確信の持て
る根拠が必要だったのだ。

そこで、私は直感的に、ある一つの根拠を仮定してみた。
それは、人を殺すという事だ。

諸君には理解して貰えないかもしれないが、私はこの仮定
が、ことのほか気に入ってしまった。

(人を殺すという事は、人の死を創り出すという事だ。
自らの手で死を創造出来れば、自らの死の恐怖も克服出来
る筈だ。)
そんな確信が突如、私の頭の中に出現し、離れなくなった。

しかし、いざそれを実行に移すのは、なかなか容易な事で
はない、ということも解った。
私の良識が、それを邪魔するからだ。
(信じて貰えないかもしれないが、私にもこの社会の一員
として育んで来た、良識というものが備わっているのだ。)
この良識というやつが、とんでもない邪魔者になって、大
いに私を悩ませた。

私は、更に逃げ道を探った。
この良識を克服するには、どうしたらいいのか?
そこで、私は原点に立ち帰って、最も初歩的な所から、世
の常識を疑ってみる事にした。

何故、人を殺してはいけないのか?
社会は何故、人が人を殺すことを禁じるのか?

唐突にこんな事を言い出すと、まるで諸君の失笑が聞こえ
て来る様な気がする。
恐らく諸君は、こう言いたいのだろう。
(そんな事を許してしまえば、世の中が滅茶苦茶に混乱し
てしまう。人の生活が立ち行かなくなってしまう。)と。
(だから、人の集合体たる社会は、殺人を認めないのだ。)
と。

では、諸君にもう一つ、質問をしよう。
(人を殺してはいけない。)と言っておきながら、何故社
会は「死刑」という名のもとに、人を殺すのか?
これは矛盾ではないのか?

たぶん諸君は、こう答えるだろう。
(それは人殺しという「罪」に対する「罰」としてあるの
だ。だからそこには、矛盾など存在しない。)と。

しかしこの「罰」は本当に、人殺しという「罪」に対して、
相応のものであると言えるのだろうか?





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