「花と少女」
三月もじきに終わろうというのに、曇りや雨の寒い日ばか
りが続いて、次第に心の中にも黒い灰色の雲が立ち込め始
めていた。
久し振りに雨が上がった朝、気晴らしにと散歩に出掛けた
が、相変わらず太陽は厚い雲に閉ざされ、その姿を見せて
くれなかったので、心の中の雲も晴れずにいた。
僕は家の近くの小さな神社に足を向けた。狭い神社の敷地
には、森のように鬱蒼と木々が生い茂っていて、参道は昼
でも薄暗かった。
参道を抜け、やや広い場所に出ると、本殿の脇に一本だけ
ある白木蓮の木の下に、七、八歳ぐらいの少女が佇んでい
た。例年、この白木蓮はこの時期には、大振りの白い花を
一斉に咲かせるのだが、ここのところの悪い天気が祟って、
花はあまり咲かずに終わってしまったようだ。
よく見ると少女は、目を擦りながら泣いていた。その少女
以外、境内には誰もいなかった。
僕は何だか気になって、少女に近寄り声を掛けた。
「どうしたの?何を泣いているんだい?」
少女は泣きじゃくりながら、赤い目で僕を見た。
「お花にごめんねって謝ってたの。」
「え、どうして?」
「ほら、ここにお花の蕾があったのよ。」
少女は目の前の枝先を指差した。そこにはもう花はついて
いなかった。
「わたし、毎日蕾にお話ししてたの。もうちょっとで咲く
ね、頑張ってねって。」
少女は時折しゃくりあげながら、言葉につかえつつ懸命に
僕に話し続けた。
「でもわたし、風邪引いちゃったの。それで会いに来れな
かったの。そしたら今日来たら、もうなかったの。」
どうやらこの少女は、その蕾が開くのを楽しみにしていた
らしい。ところが風邪を引いてしばらく来なかった間に、
花は枯れ落ちてしまったのだろう。
「だけど‥‥どうして君が謝るの?」
「だって‥‥きっとお花はわたしが来るのを待ってたのよ。
わたしに見られるのを楽しみにしてたのよ。それなのにわ
たし‥‥見てあげられなくて‥‥」
少女はこみ上げて来るものに耐えきれなくなって、とうと
うまた顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
「ごめんね。ごめんね。」
僕は言葉を失った。こんな幼い少女が、そのように考える
心を持ち合わせていることに驚かされた。そしてその優し
さを美しいと思った。
僕は屈んで少女の目線の高さになって、木の上を指差しな
がら話し掛けた。
「見てごらん。新しい葉っぱが出てきているだろう?」
そこにはまだ僅かながらも、新緑がちらほらと芽吹き始め
ていた。
「花は散ってしまったけど、木は生きてるんだ。だから来
年また花は生まれ変わって、君が会いに来てくれるのを楽
しみにしているんだよ。」
少女は泣くのを止めて顔を上げ、濡れた目で一心に木を見
つめていた。無言の会話を交わしているようだった。
僕も彼女に倣って木を見上げた。雲の切れ間からは陽の光
が差し始めていた。
仲春から晩春へ、晩春から初夏へと季節は巡る。この神社
が淡い緑の新しい命で包まれる日も、そう遠くはないだろ
う。
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