「隣人」
僕は窮屈な生活をしていた。それは、隣人のせいである。
木造の古いアパートで一人暮らしをしていたのだが、隣の
部屋には大学生が住んでいた。
チンピラの様に粗暴な男であった。
ある朝、ゴミの出し方について注意すると、逆上して激し
く罵られ、尻を蹴られた。それ以来、彼の事はなるべく避
けて通る様になった。廊下ですれ違って、こちらが軽く会
釈しても、向こうは全く無視した。毎晩の様に仲間を部屋
に連れ込み、酒を飲み、大騒ぎするので、夜もろくに眠れ
なかった。
しかし、腕っぷしも弱く臆病な僕は、また尻を蹴られるか
と思うと文句を言う事も出来ずに、悶々とした日々を送っ
ていた。
そんなある時の事である。部屋で寝ていると、突然体が大
きく揺すられるのを感じ、驚いて目を覚ますと、部屋中が
物凄い音を立てて、激しく揺れ動いていた。
「地震だ!」
慌てて部屋の角まで這って行き、そこへうずくまった。机
や本棚が倒れ、目茶苦茶になって、ようやく揺れは収まっ
た。
僕はしばらく、部屋の角で呆然としていた。
それから不意に、アパートが潰れるかもしれない、と思い
当って、大急ぎで部屋を飛び出した。
隣の部屋のドアが開いていたので、無意識に中を見ると、
僕の部屋と同じ様に物が倒れ、目茶苦茶になっていた。
「あの学生は無事だろうか?」
ふとそう思って、さらに部屋の中をよく見回してみて、は
っと息を呑んだ。
部屋の奥に、たんすの下敷きになった学生が、仰向けに倒
れていたのだ。
僕は恐る恐る彼に近づいて行った。彼は意識を失っていた。
口元に手をやったが、呼吸をしていない。首筋に触れてみ
ると、どうやら脈も打っていない様だった。
「‥‥こいつは死んでいる‥‥」
そう思った瞬間、僕の頭の中に今までの、挨拶を無視され
たり、夜中に大騒ぎされたり、尻を蹴られたりした記憶が
甦り、胸の辺りに無数の、何やら怪しい黒くうごめくもの
が、うようよと湧き広がって来た。
そしてその黒いものに操られる様に、僕は学生の側頭部を、
したたかに蹴り上げた。
すると突然、学生の目がぱっと開いた。
心臓が止まるかと思うくらい、僕は驚いた。生きていたの
だ。
僕が蹴った事で、蘇生したのだろうか?
「助けてくれ!」
生き返った彼の声に、はっと我に返った僕は、たんすを持
ち上げ彼を引きずり出し、一緒に部屋から逃げ出した。
その後、彼は病院に担ぎ込まれたが、命に別状はなく、数
週間で退院した。
何処で聞きつけたのか、町内の新聞が僕の所に取材に来た。
隣人の命を救った心温まる美談として、その記事が新聞に
載り、僕はひととき町の有名人となった。
アパートは潰れなかったので、僕ら住人は、またすぐ元の
生活に戻る事が出来た。
学生の粗暴な性格は相変わらずだったが、僕に気軽に話し
かけて来る様になり、時々酒に誘われた。
酔うと必ず「あんたは命の恩人だから。」と言って、肩や
背中をばんばん叩いてきた。
僕の生活は、以前にも増して窮屈になった。
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