(3)


女は更に、話を続けた。

「二か月ぐらい前から、お父さんが病気で入院してて、そ
の看病をしながら店に出て、働いてたらしいの。
あたし、あんまり彼女が馬鹿正直で、腹が立ったから、
(そんなクソ親父、放っておけばいいのよ!)って言って
やったんだけど、(そんな可哀相な事、出来ない。)って
笑ってたわ。(あの人にはもう、私しかいないんだから。)
って。散々、酷い目にあわされて来たのに‥‥
それで結局、自分が体壊しちゃって、死んじゃって‥‥
馬鹿よ、あの子!」

この時にはもう、彼女は涙をぽろぽろと流しながら、声を
震わせて喋っていた。
サトルはまるで、呼吸をするのも忘れたかの様に、じっと
固まったままでいた。
不意に女は、サトルの顔を見て、にっこりと笑った。

「あの子、あんたの事を気にしてたわ。今度、いつ来てく
れるんだろう、会えないと心配だって。
道ですれ違った時も、あんたに声を掛けなかった事を、す
ごく後悔してた。
(きっと怒ってるに違いないわ。)って、悲しそうな顔し
てた‥‥そういう子なのよ。」

その時突然、サトルが苦しそうに背中を丸めて、激しく喘
ぎ出した。
顔面は蒼白で、びっしょりと汗に濡れていた。
女はびっくりして、彼の肩をつかみ、顔を覗き込んだ。
「ちょっと、どうしたの?しっかりして!」

そのまま彼は、しばらくベッドの上にうずくまって、喘い
でいたが、やがて少しずつ治まって来て、女の手を借りな
がら体を起こした。
女は慌てて部屋を飛び出して、水を入れたコップを持って
戻って来た。
その水を一気に飲み干すと、ようやくサトルは、落ち着き
を取り戻した。

「ありがとう、もう大丈夫だ。あんまり驚いたもんで‥‥
ちょっと気が動転しただけさ。」
「そう、それならいいけど‥‥」
女は、ほっと息をついて言った。

サトルは、コップを彼女に返すと、すぐさまベッドから立
ち上がった。
「もう行くよ。」
「えっ、でも‥‥本当に大丈夫?」
「ああ、心配ないよ。」
二人はそっと部屋を抜け出し、元来た道を引き返して、通
用口から階段へ出た。

「あたし、余計な事しちゃったのかしら?言わない方が、
よかったのかな‥‥」
女は少し、沈んだ様子で言った。
「そんな事ないよ。ありがとう。」

サトルは、彼女と握手をして別れを告げ、階段を昇って行
った。
後ろで、ドアの閉まる音がしたが、その音とともに、彼の
最後の希望の扉も、閉ざされてしまったのを感じた。

彼はもう、振り返る事はしなかった。





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