(2)


男は再び、上着のポケットに手を突っ込んで、通りを彷徨
い歩き出した。
まるで水の中をふらふらと浮遊する様に。
すれ違う人たちと、危うく肩がぶつかりそうになりながら
も、一向によける素振りも見せず、まるで何かに憑りつか
れたか、あるいは夢遊病の様なおぼつかない足取りで、ゆ
っくり前へ進んだ。
顔には再び、力ない薄笑いが浮かんでいた。
それは何か諦めた様な、絶望的な笑顔だった。

もう陽は西へ傾き始めていた。
男は、後ろから次々に追い抜いて行く人々の背中を、ただ
呆然と眺めてはやり過ごしていたが、不意にその中の、一
人の若い女の背中に視点を定めた。
死んだ様に虚ろだった目が、一瞬ぎらりと輝いた。

男は糸で引かれる様に、女の後を追い始めた。
その歩調は徐々に早まり、離れていた二人の間隔は、段々
狭まっていった。
女はそれに、全く気付いていない。

男の顔から笑みが消えた。
心なしか、呼吸が荒くなってきた様に見える。

手を伸ばせば触れられる位、女の背後まで近付いた時、男
は急に立ち止まり、はあはあと苦しそうに肩を揺らして、
息を荒げた。
遠ざかっていく女の背中を、じっと目で追いながら、ふと
彼の顔に、助けを求める様な、悲痛な色が浮かんだ。
今にも泣き出しそうな、哀れな表情だった。

「明日、世界は終わるんだ。」
恐ろしく低い声で、男は自分に言い聞かせる様に呟いた。
「だから今日、やらなければならないんだ。」

男はまた歩き出した。再び女へと近付いて行く。
絶望的な表情のまま、どんどん足を早め、遂には小走りに
なった。
彼女のすぐ後ろまで追いついた時、男は左手を上着のポケ
ットから抜いた。
その手には剥き出しのサバイバルナイフが握られていた。





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