(2)


「おい、ちょっと待てこら!」
そのまま行こうとするサトルの肩を、男の手が掴んだ。
するとサトルは反射的に、まるで何か汚いものにでも触れ
られたかの様に、すぐさまその手を乱暴に払い除け、敵意
に満ちた目で相手を一瞥して、再び歩き出そうとした。
これで酔っ払った二人連れは、完全に逆上してしまった。

「何だ、てめえ!ふざけるな!」
今度は二人がかりでサトルを捕まえ、力まかせに引きずり
倒して、その顔面と体を、交互に二三度蹴り上げた。
サトルは低い唸り声を上げ、そのまま体を丸くしてうずく
まった。
二人連れは、尚も彼に罵声を浴びせかけていたが、次の駅
に着くと、さっさと電車を降りて行った。

再び電車が動き出すと、傍に立っていたサラリーマン風の
男が、心配そうにサトルに近付いて来て、顔を覗き込んだ。
「君、大丈夫か?」
サトルは痛みを堪えながら、無言のまま片手を上げてその
男に応え、ようやく体を起こした。

彼は車内を見回した。
立っている乗客、座っている乗客、皆がこちらを見ている。
心配そうな目で。
あるいは迷惑そうな、冷たい目で。
あるいは他人事の様に、面白がる目で。

その中に、思いがけない顔を見つけた。
同じ車両の、少し離れた座席に座っている、長い黒髪の痩
せた若い女、それは数日前に訪れた店「A」で出会った、
「ミユ」という名の女に違いなかった。
ミユは、怯えた様な目つきでこちらを見ていたが、サトル
と目が合うと、途端にさっと横を向いてしまった。

その瞬間、サトルの胸に激しい恥辱と、憎悪の念が沸き起
こった。

彼は手すりに掴まって、よろよろと立ち上がり、扉の窓ガ
ラスに映る自分の顔を、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら睨
み付けた。
怒りで全身がぶるぶると震え、顔が真っ赤になっているの
が、自分でも解った。

駅に着くと、彼は体の痛みを堪えながら、急ぎ足で電車を
降りて行った。
そのままもう二度と、ミユの方を振り返ろうとはせずに。





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