(2)


二人は服も脱がず、言葉も交わさず、薄暗い個室のベッド
に並んで座ったまま、長い時間を過ごした。

「君に笑われたと思ったんだ。」
不意にサトルが、また話し出した。
「あんな無様なところを君に見られて、俺は堪らなく恥ず
かしくなって‥‥それで君を逆恨みしたんだ。
今日、ここに来たのも、君に仕返しをしようと思ったから
なんだよ。まったく情けない話さ。君に笑われても、当然
だよな。こんな下劣な男なんだから。」
サトルは、ミユの顔も見られずに、うつ向いて顔を赤らめ
ながら、そう言った。

するとミユは、そんなサトルの横顔をじっと見つめて、重
い口を開いた。
「私‥‥笑ってなんかいなかったわ。」
それを聞いて、サトルは恐る恐る顔を上げ、彼女の顔を覗
き込んだ。
「本当に?」
「ええ。私には解るもの。あの時のあなたの気持ちが。」
サトルが不思議そうに、ミユの顔を見つめていると、彼女
はその視線から逃げる様にうつ向いて、話し続けた。
「私も殴られたり、蹴られたりした事があるから‥‥」

彼女は思い直した様に顔を上げて、サトルと見つめ合い、
ほんの少し笑ってみせた。
「私の方こそ、あなたに恨まれても、文句は言えないわ。
だってあの時、あなたに声もかけずに、目が合った途端に、
他人事みたいに知らんぷりしたんだもの。
あなたが電車を降りてから、私、恥ずかしくなって、自分
が許せなくて‥‥だから謝るのは、私の方よ。」
そこまで言うと、ミユは口をつぐんだ。
そのまましばらくの間、二人はじっと見つめ合っていた。

不意にサトルが、立ち上がって言った。
「もう帰るよ。」
「え?でもまだ、時間じゃないのに‥‥」
「いや、でももう行くよ。」
彼は自分でコートを着て、そそくさと帰り支度を始めた。
ミユは、おろおろとその様子を見ていた。
「私の事、怒ってるの?」
「いや、そうじゃないよ。その‥‥急に用事を思い出した
んだ。」
彼女の肩にそっと手を乗せ、サトルは笑いながらそう言っ
た。

二人は個室を出て、扉の前までやって来た。
「また来てくれる?」
ミユがそう尋ねると、サトルは微笑みながら答えた。
「さあ、どうかな‥‥いや、来るよ。たぶん‥‥」

店を出るとサトルは、腹立ち紛れに足早に歩いた。
その夜は風はなかったが、空気がやけに冷たく、ちらちら
と雪も舞っていた。

(一体俺は、どうしたっていうんだ?)
訳の解らぬ苛立ちに、彼は困惑していた。
(俺はまだ、彼女を許していないのか?まだ昨日の事を根
に持っているのか?いや、そんな事はない!)
彼の胸からはもう、憎悪や復讐心は完全に消えていたのだ
が、それとは別の何か、引け目にも似た、いたたまれない
気持ちが、ミユの顔を思い出す度に襲って来た。

(俺はもう、彼女には会えない‥‥)
サトルの心を、苦しみが覆い尽くした。





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