第七章 現実主義者

(1)


それから一週間程経ったある日の午後、繁華街にあるビル
の二階の、小さな喫茶店。
その窓辺の席に、サトルと友人の目黒が向かい合い、座っ
ている。
その日の朝突然、目黒からサトルに連絡が入り、会う事に
なったのだった。

窓の外では眼下の歩道を、人が疎らに歩いている。
その歩道の右側から歩いて来た男と、反対の左側から歩い
て来た男が、丁度窓の真下辺りでばったりと、危うく正面
からぶつかりそうになった。
二人は足を止め、しばらくの間、相手が避けて道を譲るの
を待つ様に、じっと睨みあい、やがてお互いにほんの少し
ずつ脇に避けて、すれ違って行った。

「今のを見たか?まるでこの世界の縮図じゃないか。」
サトルがにやりと笑いながらしゃべり出した。
「避けようと思えばいくらでも避けられるのに、先を急ご
うとするばかりに、お互い自分の行きたい道を一歩も譲ろ
うとしないで、揚げ句にぶつかりそうになって、足を止め
る破目になる‥‥世の中も全てそうじゃないか。
自分の利益ばかり考えて、そのせいであちこちで衝突が起
こって、結局、行き詰ってしまっているのさ。」

「いつから哲学者になったんだ?」
皮肉を込めて、目黒が口を挟んだ。
サトルは何も答えず、しばらく沈黙が続いた。
店の中は客も疎らで、静かだった。

「仕事を辞めて、どのくらいになる?」
不意に目黒がしゃべり出した。
「一年ぐらいかな‥‥」
サトルはそう答えて、テーブルの上のコーヒーに口をつけ
た。
「なあお前、もうそろそろ仕事に復帰する気にはならない
のか?いくら貯金があるといっても、そう長くは続かない
だろう?」
目黒は、相手の様子を窺いながらそう言った。
サトルは目を伏せ、黙って聞いていた。

「もしお前にその気があるなら、俺が会社に口をきいてや
るよ。なあに、何の問題もなく、復職出来るさ。事情も事
情だしな。」
目黒は、話を止めて返事を待ったが、サトルは相変わらず
口を開かず、窓の外に視線を向けた。

「お前の気持ちも解るが、いい加減に現実に目を向けたら
どうなんだ?
働かなけりゃあ、金は稼げない。金がなけりゃあ、生きて
いけない。世の中、お前が考えている程、甘くはないんだ
ぜ。」
「まあ‥‥少し考えてみるよ。」
ようやくサトルが重い口を開いたが、目黒はその煮え切ら
ない態度に苛立った。

「おい、俺はお前の為を思って言ってやってるんだぞ!
解ってるのか?
忘れろとまでは言わないが、もうそろそろ、過去に整理を
つけてもいい頃だろ!
いつまでもくよくよしてたって、彼女はもう、帰っては来
ないんだ!」

この最後の言葉に、サトルの顔色がさっと変わった。





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