第十二章 青い月Y

(1)


一日が過ぎ、二日が過ぎ、穴の底の男は、殆ど意識を失い
かけながら、じっと死の訪れを待っていた。

痛みや苦しみはもう、とっくに感じなくなっていた。

男は青い月を見ていた。(彼はもうそれを、青い月と信じ
て疑わなかった。)
ふと、月の向こう側から、誰かが呼んだ様な気がして、男
は耳を澄ました。
声は小さく鳴り響いて、何を言っているのかよく聞き取れ
なかったが、聞き覚えのある声に思えた。

幼い頃に聞いた、母親の声だろうか?
かつての恋人の声だろうか?
どちらの様でもあり、また違う様でもあった。

その声の主を求めて、男は必死に目を凝らして、光の向こ
う側を見極めようとした。

光はどんどん強く、大きくなっていった。

すると男には、今自分を閉じ込めている、命という小さな
器が、とても窮屈なものに思われて来た。
男はそれを、脱ぎ捨てにかかった。

(そうか!)

突然、彼の頭の中で何かがひらめいた。

(死とは帰る事なんだ! 生まれる前にいた場所へ‥‥
忘れてしまっていた場所へ‥‥)

彼はそれを脱ぎ捨て、光の中へ向かって行った。

彼の目にはもう光以外、何も見えなくなった。






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