第十四章 ふたつめの喪失

(1)


最後の希望を胸に、サトルはその古い小さなビルを訪れ、
薄暗い階段を降り、「A」の入り口の前に立った。

(もう、逃げる事は出来ない。)
迷いはなかった。
彼は、扉を開けた。

カウンターの中には、いつもの店員が立っている。
サトルは彼に、軽く会釈して言った。
「ミユさんを指名したいんですが、今日来てますか?」
「あの子ならもう、辞めましたよ。」

一瞬、サトルは凍り付いて、思わず大声で店員に聞き返し
た。

「辞めた?いつ?」
「先週です。」
「何故?」
「さあ、知りませんね。」

思いもよらぬ事態に、サトルは言葉を失い、呆然とした。

「どうします?他の子にしますか?」
しびれを切らせた店員が、彼に尋ねた。

「いや‥‥やめておきます。」
はっと我に返ったサトルは、硬い表情のまま、くるりと
背を向け、店を出て行った。

薄暗い階段の下にたたずみ、だんだん落ち着きを取り戻す
うちに、ようやく何が起こったのかを理解したサトルは、
腹立たしさと可笑しさが、同時に湧き上がって来て、思わ
ず肩を揺らして笑い出した。

(何て‥‥何て無様な結末なんだ!)

呆気なく失われてしまった、最後の希望‥‥
疲れ果てた様に笑うのを止めると、彼は重い足取りで、ゆ
っくりと階段を昇り始めた。
耐え難い程の寂しさが、彼の心に舞い降りて来た。

「ちょっと、あんた。」

突然、彼の背後から、囁き掛けるような声が聞こえた。
驚いて振り返ると、今まで気がつかなかったのだが、店の
入り口の少し横の方に、壁と同じ色の小さなドアがあって、
そのドアを少しだけ開けて、中から若い女が、顔だけ出し
てこちらを見ていた。

「ミユに会いに来たんでしょ?」
「えっ?‥‥ああ。」
サトルは、やや狼狽しながら答えた。

「あたし、ミユの友達よ。ほら、前に一度、道ですれ違っ
た事があるでしょう?」
「‥‥ああ、君か!」
確かにそれは、以前、街で偶然出会った時、ミユと一緒に
いた子だった。

「ミユの事で、あんたに話があるのよ。ちょっと来てくれ
ない?」
「ミユの事で?」
「ええ、店の人に気付かれない様に、こっそりね。」

サトルは少し迷ったが、意を決して階段を引き返し、彼女
と一緒に、その小さなドアの中へ入って行った。





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