第二章 青い月T

(1)


夢うつつから覚め始めた時、その男の全身は激痛に見舞わ
れていた。

あまりの痛さに男は叫ぼうとしたが、声さえ出せず、呼吸
をするのもやっとで、まるで体じゅうを炎であぶられてい
る様な熱さを感じた。
恐ろしい苦痛の中で、彼は何度も気絶しそうになったが、
必死に意識を失うまいとして戦った。

その戦いは延々と続いたが、そのうち徐々に痛みが引いて
きたのか、あるいは感覚が麻痺してきたのか、ようやく彼
は意識をしっかりと保って、冷静に何かを考えられる様に
なったきた。

男は周りを見渡してみた。辺りは真っ暗で何も見えなかっ
たが、ちょうど目の先に一点だけ、小さな丸い光がぽつん
と見えた。
その光は青く輝いていて、まるで月の様だった。

やがて目が暗闇に慣れ始め、周りの様子が徐々に見えて来
た。
男は、岩か硬い土で囲まれた狭い空間に、窮屈に足をくの
字に折り曲げた状態で、仰向けに倒れていた。
彼はおぼろげな記憶を辿って、自分の身に何が起きたのか
探りにかかった。

(そうか、俺は穴に落ちたんだ。)

男はようやく状況が判ってきた。
青い月と思った目の前の光は、遥か頭上の穴の上から覗い
ている空だったのだ。

男は旅人だった。二十五歳の若者である彼は、ある出来事
によって大きく狂ってしまった人生を、一からやり直すべ
く、一切の過去と決別すべく、一人当てのない旅に出たの
だった。

その日、彼は気まぐれに地方の寂れた駅で電車を降り、点
在する集落の他は殆ど野と山ばかりの町を歩いていた。
そのうち、いつの間にか深い森の中に迷い込んでしまい、
日が暮れて、辺りがだんだん暗くなって来た。
早く人家のある所まで戻らなくてはと、焦りながら歩いて
いると、突然、足元の地面の感触が消え、体じゅうの内臓
がすっと浮き上がったかと思うと、大きな衝撃を受けて、
それきり意識を失ってしまっていたのだった。

今、穴の上に見える空が明るいという事は、ここで一晩中
気絶していたのか、と彼は思った。

(こんな所に穴があるなんて‥‥)

どうやらそれは、枯れた古井戸の跡の様だった。

男は体を起こそうとしたが、動けなかった。
背骨が折れているのか、無理矢理力を入れると、再び恐ろ
しい激痛が走った。大きな声を出す事さえままならなかっ
た。

(畜生、何てついてないんだ!)

遥か頭上に青い空を覗かせている穴の出口を、恨めしそう
に睨みつけながら、男はすっかり途方に暮れてしまった。






前へ          戻る          次へ