第四章 青い月U

(1)


落ち込んだ穴の底で、男が何も出来ずに、ただ無意味に時
をやり過ごしているうちに、穴の上からわずかに射し込ん
でいた光は次第に弱まっていき、やがて夜が訪れた。

暗闇に包まれると、男の心の中で、それまで憎悪や自憐に
よって覆い隠され忘れていたものが、次第に顔を現し始め
た。
それは、忍び寄る死の恐怖だった。
男から一切の視界を奪った夜の暗闇が、彼にそれをいやが
うえにも思い起こさせたのだった。

絶え間なく続く鈍い痛みで熱くなっていた筈の彼の体に、
まるで冷水を浴びせかけられた様な悪寒が走り、がくがく
と音を立てて震え出した。
巨大な死の手が闇に紛れて、今にもこの命をむしり取りに
来るのではないかと、彼は気も狂わんばかりに恐れおのの
き、その考えから一瞬たりとも気をそらす事が出来なくな
った。

自分のすぐ横に、死神がぴったりと寄り添っていて、今に
もこの耳元に囁きかけて来る、そんな妄想に捉われて、何
とか耳を塞ぎたいという衝動に駆られたが、それも出来ず、
ただ無防備にその情け容赦のない静寂に身を任せるしかな
かった。

こうして夜の暗闇と静寂は、まるで物質であるかの様な圧
倒的な存在感をもって、彼を押し潰そうと迫って来た。
あまりの恐ろしさに彼は、頭がおかしくなりそうな気がし
て、今まで信じた事もなかった神に救いを求め、何度も何
度も繰り返し祈った。

死への恐怖と発狂への恐怖、このふたつの敵が彼を執拗に、
無慈悲に、残酷に弄ぶ様に襲い続け、やがて彼の精神は疲
れ果て、正気と狂気の狭間をさまよううちに、いつしか意
識が薄らいでいき、現実の世界を離れて、悪夢の中へと落
ちていった。






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