(2)


二人は、待ち合わせたビルの中にある喫茶店に入ってお茶
を飲んだ。会話は殆どしなかったが、それは尾津にとって、
決して嫌な雰囲気ではなかった。
他の人に対してなら感じる筈の違和や気まずさはなく、彼
女の創り出す静かな空気は、却って尾津には心地のよいも
のだった。
先程まで感じていためまいも、今はすっかりその姿を消し
てしまった様だった。

「どうして俺に、これを教える気になったんだい?」
不意に尾津は沈黙を破って、ポケットから取り出した彼女
の名刺を掲げながら言った。

「さあ、どうしてかしら‥‥よく判らないわ。」
ユキは恥ずかしげにうつむいて答えた。
「でも初めてなの、こんな事したの。本当よ。」
彼女はゆっくり顔を上げ、あの印象的な微笑みを浮かべな
がら尾津を見つめた。

「あなたはどうして、電話する気になったの?」
そう彼女に聞き返されて、尾津は答えに困って笑いながら
視線を逸らした。
「さあ‥‥どうしてかな。」
二人は顔を見合わせて笑った。

それきりまた会話は途切れ、あの心地の良い静けさが戻っ
て来た。
(どんなに気の利いた言葉も、この空気の前には無力だ。)
尾津はそう思って苦笑した。
(作家としては少々、情けない話だな。)

二人は、小一時間ほどそこで時を過ごして店を出た。
それから休日の賑やかな通りを、何処へ向かうでもなくぶ
らぶらと、街並みや行き交う人を眺めながら歩いた。
歩いていると、尾津はまためまいを感じ始めたが、それを
彼女に気づかれまいと、平静を装っていた。

通り沿いに歩いていると、小さな公園の前で、子供たちが
横一列に並んで、募金箱を手に持って立っているのに出く
わした。
「お願いしまーす。お願いしまーす。」
子供たちは道行く人に向かって、大きな声で呼び掛けてい
た。
するとユキは、つかつかとその子たちの列に近づき、募金
箱に幾らかの金を入れて、そそくさと戻って来た。

「ありがとうございまーす!」
後ろから子供たちの大きな声がして、ユキは照れくさそう
に尾津に微笑んだ。
尾津は少し呆れて笑い返した。

「物好きだな、君も。あの金がどう使われるのか、よく知
りもしないくせに。」
「いいのよ、そんな事。私はあの子たちのために募金した
の。」

陽が傾き始めた街の人並みは、一層その数を増やしていく
様だった。






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