(4)


翌朝早く、男はまだ眠っている女を残し、一人部屋を出た。
ホテルの入り口から外を見ると、薄暗い街に人影はなく、
雨はまだ少しだけ、しとしとと降り続いていた。

男はふらりと、早朝の街へ足を踏み出した。

その途端、彼は胸が何かによって、押し潰されるほどに
強く締め付けられるのを感じ、息が詰まって苦しくなり、
涙がこみ上げて来た。

今すぐ踵を返して、彼女の元へ飛んで戻りたい、そんな激
しい衝動に駆られたが、それはどうしても出来なかった。
そんな事をしてもまた、同じ結果の繰り返しになるだけだ
と、痛いほどよく判っていたからだ。

男は渾身の力を振り絞って、ようやく一歩、また一歩と歩
き出した。
早朝の街はとても静かで、ただそぼ降る雨の音が聞こえる
ばかりだった。

男は、涙と雨で濡れた顔を空に向けた。
灰色の雲に覆われた空から、細かな雨粒と共に、あの幼少
時代と青春時代に嫌というほど味わった、暗い不吉な影が、
再び舞い降りて来るのを感じた。

そしてこの時、人生で最も幸福な季節が終わりを告げたの
を悟った。

男は、溢れ出る涙を拭いもせず、何処に向かうでもなく、
ただ真っ直ぐに歩き続けた。
何処までも、何処までも‥‥

彼が、この別れの悲しみを振り切ろうと一人旅に出て、穴
に転落してしまったのは、それからひと月後の事だった。






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