(5)


僕は再び反論を始めた。
「被災者が何を望んでいるのか、何を幸福と思うのか、それはその
人たち自身が決める問題だ。僕らがすべき事は、幸福の定義を押し
付ける事じゃなくて、その人たちの望む幸福の手伝いをする事だ。
なるほど君には君の、幸福の定義というものがあるんだろう。それ
はそれで結構だよ。だけどそれを人に押し付けようとするのなら、
君だってエゴイストじゃないか! 偽善者じゃないか! 君が非難
する奴らと変わりはしないよ。
しかも君はそのエゴのために、人の不幸を救おうともしない。少な
くとも他の奴らは、救いの手を差し延べてるというのに、君はそれ
以下だ! 君は卑怯者だよ!」

「そう‥‥確かに僕はエゴイストさ。」
熱くなった僕をすかす様に、冷静な声でSは言った。
「でも偽善者じゃない。僕は自分が善人じゃないって事を知ってる
し、それを隠すつもりもない。僕は少なくとも、自分が誰なのかを
知ってる。あいつらには、それすら判ってないんだ。自分たちが何
者なのか。」

Sはまるで、僕の言う事など聞いていなかったか、あるいは既に何
を言うのかを知っていたかの様に、平然としていた。
そして不意に僕の目を見て、こう尋ねてきた。
「人はみんな、自分の望むとおりに世界を変えたいと思っている。
それは権力者やテロリストだけじゃない。君だってそうだろ?」

「僕は‥‥」
意表を突かれた僕は、やや口ごもりながら慎重に答えた。
「僕には変えられない。変えたくても変えられないと判ってる。
だから変えようとは思わない。」

「それは嘘だ! 変えられるか変えられないかの問題じゃない。
変えたいと思うか思わないかの話だよ。君は自分を偽ってる。」
突然、Sの目が鋭い、敵意に満ちたものに変わった。
彼はなおも勢いづいて続けた。
「人間なんて勝手なものさ。自分たちの都合で木を切り倒したり、
自分たちの都合で木を植えたり、生きものを保護したり、逆に駆除
したりする。環境保護なんて言っても、そんなのはただの口実さ。
要は自分たちが生き延びたいだけなんだ。
どんなに環境が変わろうと、全ての生きものが死滅する事はない。
ただ人間が住めなくなるだけだ。それじゃあ具合が悪いのさ。もし
本当に環境を守りたいなら、環境破壊の元凶である人間が滅ぶのが
一番だよ。戦争でもして人間同士、殺し合うのが一番手っ取り早い。
でもそれをする気はないのさ。何故なら自分たちが滅んでしまって
は、環境を守る意味がないからね。」

Sはもう、自分でも制御が出来なくなった様に、話し続けていた。
その目はいよいよ石の様に硬く、冷たくなっていた。
「人間同士だって同じだよ。自分の都合で人を助けるのさ。自己犠
牲の精神なんて、ただの口実さ。本心をごまかすために、そんなも
っともらしい理屈を捻り出して来たんだ。なるほどそれが本能だと
言われればそれまでだが、だったら見せかけのきれいごとなど言わ
ないで、堂々と宣言すればいいんだ。これは自分たちのエゴですっ
てね! そしてそんなエゴとは関わりたくない、僕の様な人間は放
っておいてくれ!」

そこまで一気にまくし立てると、Sは不意に言葉を切って黙り込み、
突然の静寂が訪れた。
(彼は一体、誰に向かって話しているんだろう? 僕か? あいつ
らか? それとも彼自身にか?)
ふと僕は、そんな事を考えた。

そして、こんな狭い考え方しか出来ない彼が、酷く憐れな男に思え
て来た。






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