(2)


意識を取り戻したヤマトは、いくつかの検査とリハビリを
経て、数か月後に退院した。
両親は二人とも事故で亡くなってしまい、母方の祖父母も
すでに他界していたので、父方の祖父母が彼を引き取るこ
とになった。今となっては彼の身寄りは、この祖父母だけ
だった。
ヤマトの記憶の中には、両親の面影はなかった。ただひと
つ覚えているのは、最後の車の中で聞いた、「きれいなお
月様‥‥」という母親の声だけだった。
祖父母の家には、父や母の写真や、二人に抱かれた幼いヤ
マトの写真がたくさんあったが、ヤマトにとってそれは、
見知らぬ大人でしかなかった。彼は、何度も何度も繰り返
し写真を眺めて、父と母の思い出を手繰り寄せようとした。
母の写真を眺めながら、最後に聞いた、「きれいなお月様
‥‥」という声を重ね合わせてみたりもした。だが、どう
しても思い出すことは出来なかった。だから写真を見るた
びに、悲しい気持ちになるのだった。

祖父母は優しい人たちで、いつも愛情深くヤマトに接して
くれた。だからヤマトは、決して不幸なわけでも孤独なわ
けでもなかった。二人ともまだ六十歳手前であったが、突
然息子を失ったショックのせいか、年齢より老けて見えた。
祖父は食品工場で働いていて、普段は主に祖母がヤマトの
面倒を見てくれた。郊外の古い一軒家に住み、裕福ではな
かったが、二人の温かい愛に守られて、不自由を感じるこ
とはなかった。
後遺症という程でもないが、事故の影響なのか、ヤマトは
あまり俊敏ではなかった。おおらかな性格で、感情を高ぶ
らせることもなく、わがままを言って祖父母の手を煩わせ
ることもなかったが、却ってそれが遠慮をしている様に見
えて、祖父母には不満だった。
近所の子供たちともあまり遊ばず、一人で家の近くの野原
や川原に行っては、ちょこんとその場に座り込んで、何を
するでもなく、遠くの空を日が暮れるまで眺めているのが
好きだった。
(やはり両親がいなくて寂しいんだろうか?)と、祖父母
は気を揉んだが、そんな心配をよそに、ヤマトはゆっくり
階段を上がる様に、着実に成長していった。






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