(9)


六月のある日、ヤマトとヤヨイは一日を一緒に過ごし、最
後に街の小さなレストランで夕食を食べていた。連日降り
続いた雨も上がり、その日は久しぶりに朝から青空だった。
「今日は大事な話があるんだ。」
食事が終わると、ヤマトはいつになく緊張した面持ちで話
し始めた。
「じつは‥‥少しの間、旅に出ようと思うんだ。」
「旅に?」
「うん。君はX国のこと知ってる?」
「ええ。今、内戦をしてる所でしょう?」
「僕はX国に行って、難民キャンプの支援活動をしようと
思ってるんだ。」
「どうして急に?」
「いや、随分前から考えてはいたんだよ。僕にはどうして
も、戦争というものが解らない。何故人間は戦争をするの
か、理解出来ないんだ。多分、僕に怒りの感情がないから
だと思うんだけど‥‥僕は人間を理解したい。戦争を理解
したい。じゃないと、自分が人間じゃないみたいで、不安
で堪らないんだ。僕は戦争の正体を知りたい。それが解れ
ばきっと、不安も消えると思う。それには戦争の間近に行
って、肌で感じなければいけないと思うんだ。それに、現
地で苦しんでいる人たちの助けになりたい気持ちもある。
君や君の兄さんが将来、人のために働こうとしている様に、
僕も人のために働きたいんだ。今、何かをしなければ‥‥
上手く説明出来ないけど‥‥今、これをやらなければ、僕
は一生後悔する、そんな気がするんだ。」
「でも‥‥そんな所に行って、危なくないの?」
「大丈夫、危険な所には行かないよ。戦闘地域から離れた
場所で活動するから。」
「そう‥‥それで、いつ帰って来るの?」
「半年後には戻るよ、必ず。」
ヤマトは、ヤヨイの反応を窺ったが、驚いたり取り乱した
りすることなく、意外な程平然としているので、拍子抜け
してしまった。
「驚かないの?」
「兄からその話は聞いていました。だから‥‥ある程度覚
悟はしていたの。」
「そうだったのか‥‥どうだろう、行かせてくれないか?」
ヤヨイは少し考えてから、ふうっと息をひとつ大きく吐い
て、覚悟を決めた様にゆっくり口を開いた。
「わかりました。あなたが決めたことなら、私は反対はし
ません。あなたの帰りを待っています。」
ヤヨイの理解を得て、ヤマトは安心する気持ちよりもむし
ろ、これから待ち構えているであろう試練に、身の引き締
まる思いがした。
「でも、くれぐれも気をつけて、無事に帰って下さいね。」
「ありがとう。それと、もうひとつ‥‥」
そう言ってヤマトは、持って来たかばんの中に手を入れ中
を探り出した。いつもは荷物を持ち歩かないのだが、この
日は珍しく手提げかばんを携えていた。
「君にこれを。」
そして、中から取り出したものをヤヨイに渡した。それは、
筒状に巻かれた紙で、真ん中を赤いリボンで結んであった。
「なあにこれ?」
「開けてごらん。」
言われるままに、ヤヨイはリボンをほどいて紙を広げた。
それは、ヤヨイの肖像画だった。絵の中の彼女はモナリザ
の様な姿勢で、体の前で両手を重ねていた。そしてその左
手の薬指には青い指輪が輝いていた。ヤヨイの誕生石のア
クアマリンの様に見えた。驚いて、戸惑った顔でこちらを
見ているヤヨイに、ヤマトは恥ずかしそうに言った。
「ごめんね。今はお金がなくて、本物はすぐには買えない
んだけど‥‥帰って来たら僕と‥‥結婚してくれないか?」
ヤヨイは、はっとして両手で口を押さえた。みるみるうち
に目が潤んで、大粒の涙が流れ落ちた。それを隠す様に、
今度は両手で顔を覆い、肩を震わせて泣き出した。
「結婚してくれるかい?」
ヤマトはもう一度、優しい声で訊ねた。
「‥‥はい‥‥」
ヤヨイはようやく、それだけ答えるのが精一杯だった。
何処からか鐘の音が聞こえて来た。二人を祝福する鐘だろ
うか?二人は、これから待ち受けているであろう運命を、
乗り越えられるだろうか?
それを知るには今の二人は、まだあまりにも小さく、弱々
しかった。






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