第八章 路上の詩人



ミユとの思わぬ再開の後、サトルは歩きながら、自分の運
命を呪っていた。
(一体どこまで、俺をもてあそべば気が済むんだ!)
物思いに耽りながら歩くうち、いつの間にか彼は裏通りの、
人気のない細い道に彷徨い込んでいた。
もう陽が西に傾き始めた頃だった。

シャッターの降りた店の前に、大きなシートを広げて、誰
かが座っているのが、サトルの目に入った。
一瞬、サトルはぎょっとした。
その男の姿が、彼が<橋の下の聖人>と呼んでいる、あの
老人に似ていたからだ。
しかし、近付いてよく見ると、その男は老人よりずっと若
く、四十代〜五十代ぐらいで、顔もそれほど似ている訳で
はなかった。

黒い厚手のコートを身にまとった、その男の目の前には、
葉書ぐらいの大きさの紙切れに、彼が書いたのであろう、
癖のある字の短い詩が、所せましと何十枚も、並べて置か
れている。
サトルは、何となく気になって、その男の前で足を止め、
彼の詩を眺め回した。
すると、男のすぐ目の前に、他の紙切れよりやや大きめの
本が、何冊か重ねて置いてあるのに気がついた。
サトルは何故か、その本がとても気になって、男に聞いて
みた。
「それは何ですか?」
「ああ、これですか。」
男は、人のよさそうな笑みを浮かべながら、その本を一冊
取り上げて、サトルに手渡した。
「私が書いたんです。まあ、小説というか‥‥ちょっとし
た物語ですよ。」

それは真っ白い薄手の本で、何の飾りもない表紙の中央に、
「喪失と奪回」という、本のタイトルが書かれていた。
ぱらぱらと頁をめくってみると、どこもかしこも活字がび
っしりと詰まっている。

(一晩あれば、読み切れそうだな。)
どうしてか解らないが、サトルはその本を読みたくて堪ら
なくなった。

「これ買います。いくらですか?」
「そうですか、有難うございます。」
男は喜んで礼を言った。
代金を払うと、サトルは本を手に男に別れを告げ、その場
を後にした。

その夜、家に戻ったサトルは、机の上に置いた本を眺めな
がら、物思いに耽っていた。
目黒の事、ミユの事、様々な思いが頭の中に浮かび、混沌
と渦を巻いている様だった。
堪らず彼は首を振って、それら全てをひと思いに、頭から
追い出して、目の前の本に意識を集中した。

(どうして俺は、こんな本を買う気になったんだろう?
あの男が、あの爺さんに似ていたからか?ただそれだけの
理由だろうか?)
彼の心には何か、根拠のない期待感が生まれつつあった。
いや、それは期待感というよりも、悲壮感に近かったかも
しれない。
藁にもすがりたい、という様な‥‥

彼は意を決して、本を開いた。
その物語の内容は、概して次の様なものだった‥‥





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