第九章 喪失と奪回

(1)


<ある時、N市の海辺の街を、巨大地震と津波が襲った。
街は壊滅状態となり、多くの人が犠牲になった。

物語の主人公は、この街に住む高校生の少年で、この大災
害によって、父親と妹の命を奪われ、年老いた母親と二人、
隣接する内陸の市へ避難する事を余儀なくされた。

少年は、肉親を失った悲しみに打ちひしがれ、特に幼い妹
の死は、彼の心に大きな喪失感と、運命に対する激しい憎
悪の念を植え付けた。

避難先で彼は、地元の高校へも転入せず、失意の為寝込ん
でしまった母親の面倒を見つつも、夜な夜な盛り場に繰り
出しては遊び回り、夢も希望もない、自堕落な生活を繰り
返していた。

ある日、彼は路上で、地元の数人の高校生たちとトラブル
を起こし、暴行を受けそうになるが、そこへ一人の少女が
仲裁に入って、何とか事なきを得た。
(彼女もまた、少年と同じ年頃の高校生である。)
それ以来、彼女は少年の事を気にかけ、度々避難所へ彼を
訪ねて行く様になった。

少年は彼女の訪問を、あまり快く思っていなかった。
特に、病床の母親の姿を見られる事が、この上ない屈辱の
様に思われ、その為に彼女を憎む様にさえなっていた。
少女は、そんな彼の態度に困惑した。

それから数か月が過ぎたが、少年の故郷の街は、未だ復旧
の目途は立たず、依然として避難所生活が続いていた。

この頃になると、避難先の街の住民たちの心境に、ある微
妙な変化が生まれつつあった。
被災者たちが移住して来た当初、地元の住民たちは、心か
らの同情を持って彼らを受け入れ、惜しみない援助の手を
差し延べていたのだが、時が経つにつれ、徐々にその情は
薄らいでいき、いつまでも街から出て行かない彼らを、煙
たがる様な空気が漂い始めていたのだ。

勿論、彼らに面と向かって、そんな事を言ったりする者は
いなかったが、そういう微妙な空気は、当の避難民たちの
間にも、嫌でも伝わって来るのであった。
こうした空気は、少年の心にも大きく影響を与え、彼の素
行はますます乱れ、母親に対してもきつく当たる様になっ
ていった。

そんなある日の事、彼は少女に呼び出され、街外れにある
人気のない狭い空き地までやって来た。
そこで少女は、幾らかのまとまった金が入った封筒を、彼
に手渡した。
収入もなく、徐々に苦しくなっていく少年と母親の暮らし
を見かねて、彼女は自らの貯金をはたいて、差し出そうと
決意したのだった。

この罪のない善意が、少年の心の恥辱と憎悪に、火をつけ
てしまった。

(この女は、俺の事が好きなんだ。だからこう、やたらと
俺に構うんだ。よし、それならば望むところだ。俺も充分
その好意に応えてやるとしよう。)
少年は金を受け取ると、すぐさまそれを少女に投げ返して
言った。
「俺はこの金で、お前を買う!」

そして、いきなり少女に飛びかかり、その場に押し倒した。





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