(4)


夕暮れの空は徐々に鮮やかさを失い始め、夜が近づきつつ
あった。団地の遊歩道は、だんだん風が強まって来ていた。
学校の用事が思いのほか早く片付いた秀子は、急げば優子
に追いつけるかもしれないと思いながら、桜並木の中を走
っていた。
突然強い風が吹いて、秀子の足元を帽子が飛ぶように転が
って行った。それを追いかけて遠くの方から、小さな男の
子が走って来るのが見えた。帽子は道を外れて草むらの中
に飛び込んで行った。
咄嗟に秀子は帽子を追いかけた。風に流された帽子は、小
さな獣のように地を這い、草むらを越えその向こう側の道
に転がり出た。
ようやく風が収まった隙に、秀子は帽子に追いつき、手を
延ばして捕まえた。
「はい。」
「ありがとう。」
後から走って来た男の子に帽子を手渡すと、男の子はこく
りと頭を下げ、帽子を被って戻って行った。秀子も元の道
に戻ろうと歩き出し、何気なく辺りを見回して、思わず立
ち止まった。遠くの桜の木の陰に、優子と山岡誠が立って
いるのが見えた。二人は何やら話し込んでいる様子だった。
秀子は金縛りにあったように、じっと二人の様子を見てい
たが、やがてそれを振り払うように目をそらして、足早に
歩き出した。心臓が激しく高鳴っていた。

その夜、床に就いた優子と秀子は、それぞれの思いに悩ま
されて、なかなか寝つけずにいた。
「優ちゃん、起きてる?」
「うん。」
秀子が痺れを切らせて口を開いた。
「今日、山岡くんと会ってたでしょう?」
「えっ?」
「私、見ちゃった。告白されたの?」
「ううん。」
「うそ。告白されたんでしょう?」
「‥‥」
「それで?付き合うの?」
「ううん。」
「断ったの?」
「うん。」
「どうして?いいじゃん付き合えば。私に遠慮することな
いよ。」
「‥‥」
「私、変に気使われるの嫌よ。」
「そうじゃないけど‥‥」
「じゃあ何よ?」
優子は、何て答えていいか解らず黙っていた。
「変なの!」
秀子もそう言ったきり、背中を向けて黙り込んだ。
なんで私じゃなくて優ちゃんなの?優ちゃんより私の方が
‥‥知らず知らずのうちにそんな考えが頭をよぎる自分に
嫌悪を感じた。優子のことも誠のことも、自分のことも、
何もかもが忌々しく、何もかもが悲しかった。

背中合わせに眠る二人の部屋は、海の底のような重い空気
に包み込まれていた。






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