(3)


秀子が正式に研究所の研究員になって一年が過ぎ、公私共
に大きな変化があった。

仕事の面では、上司だった英一がグループのリーダーから
更に上の役職に昇格し、代わって秀子がグループリーダー
になった。私生活の面では、アパートを引き払って英一の
マンションに転がり込み、同棲をし始めた。
一緒に暮らし始めて最初の三ヶ月は幸せだったが、仕事の
部署が別れ、お互いに忙しかったので、食事も寝る時間も
まちまちで、同じ家で生活していても顔を合わす時間があ
まりなく、孤独を感じるようになっていった。

そんな頃に、秀子は優子からの電話で、誠と結婚するとい
う報せを受けた。秀子にはもう、誠に対するわだかまりは
何もなかったので、素直に祝福する気持ちになったが、そ
れでも心の片隅にどうしても割り切れない思いが残った。
誠は売れない画家で、この先生活が安定する保証は何もな
い。いくら好きでも、もしも自分だったら誠と結婚するだ
ろうか?

ある夜、秀子と英一が珍しく外で一緒に食事をした時、秀
子は思い切って英一にそのことについて話してみた。
「君がそう思うのはもっともだよ。」
秀子の話を聞くや否や、英一はすぐにそう答えた。
「確かに君のお姉さんの決断は立派に聞こえるけど、それ
で共倒れになってしまったら意味がないからね。誰かを援
助したいなら、ある程度距離を置いて計画的にしないと。」
「でも‥‥好きな人が苦労しているのを間近で見ていたら、
そんな風に冷静ではいられないんじゃないかしら?」
秀子はまだ納得出来ない様子でそう言った。
「それじゃあもし僕がその男みたいに、ろくに仕事もせず
売れない絵ばかり描いていたとしたら、それでも君は僕と
一緒にいたいと思うのかい?」
「それは‥‥」
秀子は自分の気持ちが解らなくなって、答えに困ってしま
った。
「いつもの君らしくないな。お姉さんをかばいたい気持ち
も解るけど、理想と現実は違うんだ。人生を切り開いてい
くためには、常に物事を冷静に判断しないと。」
「そうね‥‥」
秀子はそう言って同意したが、割り切れない思いはまだ残
っていた。むしろ英一の話を聞いてなおさら、優子の決断
が正しくて、自分が間違っているような気がして来るのだ
った。






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