(3)
日が暮れて、冷たい雨が降り出していた。その中を秀子は、
傘も差さずに病院へと走った。
「秀子さん!」
病院に着くと、入り口に春海が立っていた。
「今、手術をしているところよ。みんな手術室の前で待っ
てるわ。」
「優ちゃん、どうなの?助かるの?」
「わからない。手術が終わるのを待たないと。」
春海に案内されて手術室の前まで行くと、守と里子、それ
に誠が長椅子に座っていた。
「お父さん!お母さん!」
二人の顔を見た途端、堰を切ったように秀子の目から涙が
溢れ出した。
「しっかりしなさい。優子はきっと大丈夫だよ。」
「そうよ。心配しないで。」
守と里子は立ち上がって、秀子の肩を抱いて励ました。
「山岡くん!」
秀子が誠の顔を見てそう言うと、誠は大きく頷いて見せた。
「大丈夫だよ。みんなで願えば優子ちゃんは必ず助かる。」
手術は深夜になっても続き、日付が変わる頃にようやく終
わった。
「手術は成功しました。しかし予断を許さない状況です。
患者さんの体力が持つかどうか‥‥いずれにせよ、今夜か
ら明日が山でしょう。」
執刀医は硬い表情で、待っていたみんなにそう告げた。
秀子たちは、二組に分かれて交代で優子に付き添うことに
して、まず誠と春海を残して、秀子と守、里子の三人は一
旦帰って休むことにした。外に出ると、冷たい雨はみぞれ
に変わっていた。
秀子はマンションには帰らず、両親と一緒に団地の実家に
戻って来た。高校生まで優子と二人で使っていた部屋に久
し振りに足を踏み入れると、懐かしさに包まれた。本棚に
は、二人が子供の頃によく読んだ「銀河鉄道の夜」があっ
た。秀子は本を手に取り、無造作に頁を開いた。いたちに
追いかけられて井戸に落ちたさそりが、神に祈る場面だっ
た。
(ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったか
わからない、そしてその私がこんどいたちにとられようと
したときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとう
こんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにく
れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびた
ろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんな
にむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみん
なの幸のために私のからだをおつかいください。)
そこまで読むと秀子は本を閉じ、天井を仰いで涙を流した。
「神様、お願いです。どうか姉をお助け下さい。そのため
なら私は何でもします。だからどうぞ姉を‥‥姉の命をお
守り下さい。私から姉を奪わないで下さい。」
秀子は生まれて初めて真剣に祈った。優子が死ぬかもしれ
ない、そう思うと恐怖と孤独に襲われ、心が激しく動揺し
た。彼女は自分の弱さを思い知った。人間はみな、弱いも
のなのだ。強い人間など一人もいないのだ。そう思うと祈
らずにはいられなかった。
前へ 戻る 次へ
|