(3)


牛飼いの妻は、急に声を潜めたが、喋りたくてうずうずし
ている様子だった。
「血が繋がってないんだよ。それで自分が病気で動けない
のをいいことに、あの子をこき使ってるのさ。呆れた女だ
よ。どうして二人が一緒に暮らすようになったか、聞きた
いかい?」
妻は嬉しそうにハヤトとエイゴに尋ねたが、返事を待たず
にまた喋り始めた。
「あの子は元々、うちと同じ牛飼いの家の娘だったんだけ
どさ、まだ小さい時に両親が立て続けに病気で死んで、一
人になっちまってね。それを今の新しい母親が引き取った
んだ。まあ言ってみりゃあ養母ってことになるんだけど。
でも養母とは名ばかりでね。あの子はあの女の奴隷みたい
なもんさ。
その養母の女ってのは、畑持ちの家の生まれでね。ある時、
女の父親が土地をめぐって近所の牛飼いの男とトラブルを
起こしてね。喧嘩になった挙げ句に、相手を殺しちまった
んだ。そしたら今度は、その殺された男の仲間達が仕返し
に来て、父親は袋叩きにされて死んじまった。女がまだ十
五かそこらの頃さ。それから間もなく母親も、そのことが
原因で気が変になって自殺しちまった。
それ以来、あの女は性格がひん曲がっちまってね。何十年
も誰とも付き合わず、一人で暮らしていたんだけど、十年
ぐらい前から病気で動けなくなって、それであの子を引き
取って働かせてるのさ。
父親のこともあって、牛飼いをことさら憎んでいてね、あ
の子のことも同様さ。人間じゃなく、牛か馬のように思っ
てこき使ってるんだよ。」
「おい、もういい加減にしないか!飯がまずくなる!」
話があまりにも長いので、牛飼いの主人が顔をしかめて口
を挟むと、妻はぺろっと舌を出して喋るのを止めた。

翌日、牛舎で仕事をしていると、若い女が過労で倒れてし
まった。心配になったハヤトは、彼女を隣の小屋で休ませ
て、仕事が終わってから一緒に送って行くことにした。
夜遅くに仕事が終わると、女は自力で歩けるまでに回復し
ていた。ハヤトと女は暗い夜道を並んで歩いた。風のない
穏やかな夜だった。

「君、名前は?」
ハヤトは勇気を出して話しかけた。
「サツキです。」
初めて聞く彼女の声は、想像通り春の小川のように細く、
優しく清らかだった。
「僕はハヤト。よろしくね。」
サツキは何も答えず、こくりと小さく頷いて微笑んだ。
「こんなこと言うと変に思うかも知れないけど……ひょっ
として君は、怒ったことがないんじゃない?」
それを聞いてサツキは急に立ち止まって、驚いたように目
を見開いた。
「そうよ。あなたも?」
「うん、君の目を見てそう思ったんだ。もしかしたら僕と
同じなんじゃないかってね。」
「私もよ。どうしてかしら?不思議ね。」
二人はお互いに見つめ合いながら、今までに経験したこと
のない、何か暖かいもので胸を締め付けられるような感覚
になった。

その夜も厳しい寒さだったが、不思議にその時は二人とも
それを感じていなかった。






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